本稿は【起業までの道のり 第4話】になります。
起業までの道のり、「第3話」については下記ページをご覧ください。
■社員旅行で訪れた海外の無人島で贅沢三昧
2006年4月、スターツ(現:スターツコーポレーション株式会社)を辞めて入社したのが事業用物件の賃貸・売買をする会社です。
新たな職場を探すにあたり、不安は全くありませんでした。スターツ時代に身に付けた知識に自信を持っていましたし、小泉政権で景気は上向き不動産市場が活況だったからです。
また、事業用物件の仲介も活発化していたため、ビルの仲介業を学ぶには絶好のタイミングだと考えました。給料は手取り23万円から額面で40万円に跳ね上がったのも嬉しかったですね。
その職場は地味で堅実なスターツとは真逆で、一口で言えば派手な会社。
社員旅行では海外のリゾート地に行って高級ワインをあおり、銀座や新地の高級クラブの飲み代は全て会社の経費です。
なかなか味わえない経験をさせてもらいましたが、残念ながら当時の記憶はあまり残っていません。
高いものをご馳走になったとしても、気を遣いながらする食事は、私にとって印象に残るような楽しい時間ではありませんでした。
実務に関して言うと、事業用不動産の仲介は数億円単位の取引を行ないます。
例えば10億円の取引をまとめることができれば、3%の仲介手数料で約3000万円(宅建業法で仲介手数料の上限は3%+6万円+消費税の上限が設けられている)が不動産会社に入ります。
売主と買主の双方の仲介者となれば6000万円。これほどの金額が動くとなると、不動産業者の目の色は変わります。
結果として売主と買主に対してそれぞれ数社の不動産仲介会社が入る、いわゆる「あんこ(売主側の仲介業者と買主側の仲介業者の間に位置する業者のこと)」状態になることが多く、そうなると各社が勝手なことを言い出して話の収集がつかなくなり、必然的に取引の確実性が下がります。
不動産業界は「千に三つくらいしか話がまとまらない」という侮蔑の意味を込めて「センミツ」と呼ばれることもありますが、その会社ではまさにそのようなことが常態化していました。
当時はファンドバブルの絶頂期、収益還元法と不動産金融工学によって投資法人「ビーグル」に投資家の資金が集められ、外資系・国内を問わずファンドマネージャーと呼ばれる運用者が東京の一等地を根こそぎ購入していました。
私が入った会社もそうしたファンドマネージャーや、富裕層の不動産取引の仲介者として、また自らも投資家として、不動産の買取り転売で利益をあげていました。
他にも「サービサー」と呼ばれる債権回収会社が業界を席巻しており、旧バブルの負の遺産である「不良債権」を買い叩いて再生させ、売却して利益を得ていました。
また、大企業の再生ではなく個人事業主や中小企業を再生する過程においても、不動産のマネジメントバイアウトによって利益が生まれます。
要するにちょっとした仕組みを知っているかどうか、ちょっとした行動を起こせるかどうかで億単位が稼げた時代だったのです。
当時、私の上司はこういいました。
「大川くん、同じ不動産の業界で働いていても、数十万円の住宅設備の交換を請けて数万円の利益を稼ぐのに躍起になる人間もいれば、一件につき数十億円のディール(取引)で数千万円の利益を稼ぐ人間もいる。我々は恵まれていることを自覚すべきだ。数十万円の取引も数億円の取引も、手間はたいして変わらないのだから」。
もちろん、上司もすぐに大きな取引ができたわけではないでしょう。
私に証券会社や建築会社での下積みがあったように、上司にも数えきれないほどの下積みがあったであろうことを感じさせられる言葉でした。
その会社の取引はエキサイティングの一言に尽きます。
芸能人が所有する東京の一等地の物件を債権回収会社から購入し、それを転売して多額の利益を上げたときは、社員旅行で訪れた海外の無人島で贅沢三昧。
一方で数千万の仲介手数料の減額交渉の際、買い主の不動産ファンドマネージャーに応接室に数時間ほど監禁されたこともあります。
実務面では、ビルの仲介や信託受益権の売買についての知識を得ることができました。
それから次第にファンドバブルは萎んでいき、サブプライムローンとリーマン・ショックによって完全に泡と消えるわけですが、スターツという大きな組織で小さな歯車として働いていたときには決して経験できないであろう貴重な経験ができたことは確かです。
■自分を見つめなおすため、職業訓練へ
そして私もファンドバブルが弾けたのと同じくらいのタイミングでこの会社を辞めました。自分なりに濃いサラリーマン生活を送ってきたと錯覚しており、少しゆっくりしたいという思いもあったんですね。
会社都合で退職した私は失業保険を受給しながら明治大学で行なわれていた不動産ビジネスの職業訓練に通い、半年のあいだ自分と向き合う時間を設けました。
このときに「不動産コンサルティング技能士」を習得して、CFP(日本FP協会が認定するファイナンシャル・プランナーの民間資格)では「タックスプランニング」と「相続・事業承継設計」の2科目に合格しました。
CFPの試験課目は6つあるのですが、証券会社時代に「金融資産運用設計」、スターツ時代に「不動産運用設計」をパスしており、最終的には「リスクと保険」「ライフプランニング・リタイアメントプランニング」にも合格して無事CFPになることができました。
収入面では不動産会社で月に40万円程度の給料をもらっていたこともあり、失業保険は20万円ほど受給できました。すでに新小岩に中古マンションを購入しており、住居費も少額で生活できたのも幸いでした。
職業訓練には、本当に就職口がなくて困っている人もいれば、税理士の科目合格を目指していたり一流企業で働くバイリンガルだったりと、実に多様な人々がいました。
私はそれまでクライアント以外には他業種との交流が一切なかったせいか、私の知らない世界で働く方々との会話がすごく新鮮でした。
久々に学生気分を味わうことができ、とても穏やかで楽しい日々でしたね。
この頃から私は、それまでのように数字だけを追いかけるのではなく、心の豊かさを求めるようになりました。
自分らしく働くこと。自分らしく生きること。こうした命題に対して深く考えられるようになったのは、様々な経験を通じて自己成長できたからだと思います。
■コンサルタントとしての本質を学ぶ
半年のブランクを経て、次に進んだのが建設FCを運営する会社です。
ローラー営業(営業マンが顧客に対して一方的に商品やサービスを押し付けるような営業スタイルのこと)でロードサイドの物件を建築するという手法を地方の建築会社に提案するという業務で、私は全国の建設会社のネットワークをつくるために仙台や東京のセミナーを担当しました。
しかし建築の受注が取りづらいこともあってなかなか身が入らず、その頃は勉強するモチベーションも落ちていたような気がします。
私は常々、組織には最低でも2年はいないと仕事の中身や本質は見えないと思っているのですが、そんなこともあってこの会社だけは一年未満で辞めてしまいました。
その後に入社した渋谷の不動産コンサルティング会社、株式会社パワーコンサルティングネットワークスも強烈な組織でした。
サラリーマンの生涯年収を一年で稼いでしまうトップコンサルタントがいる一方で、経験の浅い人間には証券会社の新入社員並みのハードワークが待っています。
証券会社の新人は自分の成績のために飛び込み営業をしますが、不動産コンサルティングの世界では先輩の物件のポスティングをさせられるというのが異なる点でしょうか。
もっとも、自分自身で利益が生み出せないのだから、できることをやって自分の価値をつくる以外にありません。業界未経験の私も当然、そこからのスタートです。
トップコンサルタントの巧みな手法を会得
トップコンサルタントの手法は実に巧みで、その話術と思考力は突出していました。
私は彼の営業手法や所作を徹底的に真似したことで、不動産業における知識やスキルはもちろんのこと、高い対人能力を身に付けることができたと感じています。
そのうえで私は今までの経験から、収入面は人並みでいいので、それよりも顧客と自分に対してもっと満足度の高い仕事をしたいと考えて始めていたのも確かです。
不動産コンサルティングは、うさんくさい業種と思う人もいるかもしれませんが、実際には高度な専門知識と充分な経験が求められる大変な仕事です。
例えばコンサルティングをする際、まずは案件に関するレジュメを用意してクライアントと自らの双方が持ち、一つ一つ議題をつぶしていくことで議事録にするという作業を積み重ねていきます。
そうしてQ&Aをしっかり記録し、問題意識を共有することで人間関係が形成され、最終的にタスクが消化されてゴールまでたどり着く。
この一連の作業をスムーズに行なうには、やはり事前の準備と調査が大切です。建設会社で言えば、打ち合わせ記録の考え方ですね。
私はこの仕事を通じて、目標から逆算することの大切さを知りました。
クライアントとコンサルティング会社、双方の利益を求めるためには、事前の準備とリレーションシップ(関係性・複数の間での信頼関係)が大切で、そのために周りのスタッフや士業の方々、会社をどう動かすかも必要になってきます。
それを理論立てて考えられるのが仲介やコンサルティングのうまい人なのですが、私はまさにこの部分を深いところまで学ぶことができたのは大きな収穫でした。
例えば借地の交渉や新・中間省略登記の方法、税理士や弁護士とのコラボレーションなどですね。
■不動産コンサルティングの魅力
実務面で学んだのは、「クライアントが求めるゴールは千差万別」であるということ。
ふつうに考えれば経済的利益の最大化がコンサルティングのゴールだと思われがちですが、実際には家族の問題も生じます。
例えば地主の兄弟や子ども同士の仲が悪かったとしたら、一つの物件を立ててしまうと将来的に相続で揉める可能性が十分に考えられます。
であれば将来を見越して最初に土地の半分を売却し、もう半分の敷地に建築するという提案をすることも可能です。
例えばこれが建築会社であれば、家族間の人間関係を考慮せず建物を建てる提案だけに終始してしまうでしょう。
一方で顧客の潜在ニーズや将来のリスクを踏まえたうえで提案できるのが、不動産コンサルティングの魅力だと感じました。
そのうえで先の例ですと、クライアントから半分の土地の売った仲介手数料をいただき、建築物に関してはハウスメーカー数社でコンペをして成約したところからコンサル費用をいただくなど、話の組み立て方によってどこから収益を得るかも自由に決められるわけです。こうした点も不動産コンサルティングの醍醐味だと思います。
そのなかで必要になるのは、やはり関係者との調整能力です。何社かの建築営業マンに来てもらったとして、全く発注しなければ嫌われて終わりですし、土地を売るにしても担当者から「一緒に仕事をしたくない」と思われてしまえば次から依頼できなくなる。
ですから常に礼節をわきまえ、滞りなくビジネスをまとめていく調整能力は非常に大事ですね。
実際にパワーコンサルティングネットワークスでもスターツと同様、今の会社を経営するうえで重要な経験を積むことができました。
結局、この会社にはスターツの次に長く在籍しました。
ちなみにクライアントの情報は、税理士が最も得やすい環境にあります。
確定申告をするうえで誰が配偶者控除を受けているかとか、会社組織になっていれば誰にどう給与を配分しているかなど、お金の流れをみると家族関係が見えてきます。
数字だけを追いかけるのではなく、その背景まで想像できる税理士であればうまく人間関係をくみ取ることができるんですね。
その意味で不動産コンサルティングをするうえでは、そうした税理士とクライアントの打ち合わせの場に同席させていただきながら進めていくことが大切であると学びました。
■満を持して、2012年に創業
こうして不動産業に関する様々な知識を得た私は2012年、満を持して起業に踏み切るわけですが、小学校高学年の頃から漠然と会社の経営者になりたいとは思っていました。
弁護士や医者といった社会的ステータスの一つとして、経営者というものを捉えていたんですね。
自分の考え通りにやりたい、できれば人の言うことは聞きたくないという思いがあるなかで、それを実現するには自分で会社を興すしかないという気持ちはずっとありました。
だから逆に言えば会社側からすると、あまりいいサラリーマンではなかったかもしれません。
会社を経営していてつくづく思うのですが、組織というのは仮に私が優秀な人材だったとしても、私が100人いたら成り立ちません。
社長がいてナンバー2がいて、事務や経理、営業マンがいて、それぞれの立場で互いに足りないものを補い合うのが組織ですから、その意味では組織から求められる役割を演じなければならず、与えられたポジションで自分を生かさなかければならないのです。
特に実力のなかった証券会社時代は、働くうえでの充実感があまりなかったというのが本当のところ。
サラリーマンなのに将来は経営者になりたいと思っていて、しかも実務能力がないわけですから、雇う側からしても働く側の人間としても、かなり悲しいミスマッチだったと思います。
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